--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
03.20

日比谷公会堂の思い出

Category: 体験
15hブレド1

大分さぼって居ましたが、今日のテレビで日比谷公会堂がまくなると言う事を知り
色々な思い出を書いてみようと思いました。

最初は太平洋戦争中での事
戦争が激しくなるにつれ、元気な人は戦場に、兵隊検査の時に丙種の者は、強制労働に駆り出されたました。
父は其のころ、別の会社から技術を見込まれ引き抜かれて正式に退社の手続き中でした。
でも務めて居た会社に労働者をです様にとの命令が来た時、その人選に父を指名されてしまいました。
それは北海道の炭鉱への出張だったのです。
その時徴用で東京に残された家族に日比谷公会堂で慰安会を模様されました。
演目はモンペ姿の宝塚歌劇の少女の歌と踊りでした。その時聞いた十五夜お月様の歌は今でも覚えて居ます

2番目の思い出は、戦後NHK管弦楽団の定期演奏を聞くために入った会員だった時の事
会場に入る前の階段で、雨が止んで居たので細くたたまれた蝙蝠笠を抱えて登ってこられた高松宮にお会いした事
お供とみられる方も連れずにお一人でした。
思わす小さく頭を下げた時に礼を返してくださいました。
庶民にやさしい方の印象が強く残って居ます。

3番目は小沢征爾さんのデビューです
20台の若々しい指揮ぶりに魅かれました。演奏が終わって帰る道で後ろを歩いて居る古い会員が、有名な指揮者の
名前を並べ乍ら、小沢さんの指揮をけなしていましたが、私はその時から小沢さんのファンになりました。
最近の指揮ぶりはなかなか聞くチャンスが有りませんが、上野の文化会館でのボイコット事件の後ボストンのオーケストラを
振るようになり才能を発揮なさって病気との格闘も有りながらのご活躍をテレビで汁度に私の耳は確かだったとうれしいです。
N響の会員は、私にとって我慢の出来ない事を聞いた時に止めてしまいました。
公会堂の跡地はどんな風になるのでしょう。
又高いビルが建つのでしょうか?

日比谷公会堂が出来た翌年の元旦が私の生まれた日だと今日知りました。
思いだせる大きな記憶が有る場所が次々と無くなる最近は、寂しいと思います。
人工が減る傾向にあるのに、構想ビルばかり建てる方に疑問が湧いています。
バベルの塔を建てようとしたおろかな人を笑えない世の中になって居ますね。

豚でも煙でもないから私は高い所が嫌いです。
スポンサーサイト
Comment:0
back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。